「もくぎょ」はなぜ、さかななんですか?
今回は素朴な疑問を解決します。
「もくぎょ」はなぜ、さかななんですか?
みなさん、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか?
お坊さんが、念仏を唱えながら「ぽくぽくぽくぽく……」
なぜ、「木+魚」で「もくぎょ」なのでしょう。不思議ですよね……
◆「もくぎょ」は魚の形をしていた!?
「もくぎょ」は当初は魚の形をしていました。
現在は一般的には鈴の形に魚の彫り物がほどこされているものが多いですね。
なぜ魚の形だったのかについては色々な説があります。
- 魚は目を開けたまま寝ます。昔、魚は眠らないとも言われていました。
そのことから、修行僧への戒めとして「魚のように寝る間を惜しみ、日夜修行に励むように」という意味で魚の形をしているという説。 - 「もくぎょ」はもともと魚の形をした木の板で、叩いて時を知らせる物でした。
その魚は珠をくわえており、珠は煩悩(仏教用語、人を悩ませたり惑わせたりするもの)をあらわしていた。
魚の背を叩くことで、煩悩を吐き出させるという説。
◆「もくぎょ」の歴史
少し歴史にも触れておきますね。
さかのぼること室町時代。
山梨県の「雲光寺」に「もくぎょ」がありました。現在も使われています。
欅で作られています。その「もくぎょ」には応永4年と刻銘されています。
現在は山梨市の「市指定有形文化財」に登録されているのですよ。
このことから、「もくぎょ」は室町時代には日本にあったことがわかりますね。
現在分かっている、その次に古いものは江戸時代のものです。
「もくぎょ」が頻繁に使われるようになったのは江戸時代からのようです。
江戸時代初期に日本に来日し中国(明)の高僧、隠元禅師が「もくぎょ」の原型と言われている「魚板(ぎょばん)」を伝えたのが始まりと言われています。
そして、五代目歌川広重(1890~1967)の写真集『江戸の今昔』に木魚の記載があります。
『江戸の今昔』には当時の日常品などの写真、それについての説明が書かれています。
『江戸の今昔』には木魚の写真と共に、
「江戸の頃、道楽寺和尚、阿保多羅經に用ひしとは趣きを異にし、呼鍾として用ひしならん、形平たき鈴の如く、趣味者の愛用せし物にや。」
(訳:江戸時代、道楽寺の和尚が平たい鈴のような木魚を呼鍾として使っていた)
とあることからも分かるように、鈴の形をしています。
現在使われている「もくぎょ」は鈴のような形に魚の柄が刻されているものが多いようです。
◆「もくぎょ」はなんで、さかななんですか?の答えは
① 魚は目を開けたまま寝る、という特徴から「修行僧への戒め」として魚の形をしている。という説。
② 日本に入って来た時の「魚板」の魚が珠をくわえ、その珠は煩悩を表し、魚の背を叩くことで煩悩を吐き出せる。と考えられていた説。
など、諸説あります。
「もくぎょ」がお寺にあったら、お坊さんにお話しを聞いてみるのも良いかもしれませんね。
読んでいただき、ありがとうございました。